【正しく神頼み】5/26 大分県中津市→大分県国東市【Day45】

大分県を南下、国東半島へ突入です。

 

中津から国東半島を経由して別府へ通じる国道213号は、別名「恋叶ロード」として大分県上げて絶賛キャンペーン中。

美しい海の景観と縁結びの神社を巡って、恋をしよう、恋を叶えよう!だそうです。

もちろん観光事業でもあるのですが、恋人の聖地がそうであるように、

少子化対策の一環という側面もあるかと。

 

しかしこれ毎度思うけど、ちょっと回り道すぎんかなあと、適齢期を過ぎたBBAは思うとですよ。

月並みだけど、恋愛と結婚は違うよね。。。

正面から見た象の滑り台はちょっと怖い

 


5月26日の立ち寄りポイント

  1. 道の駅なかつ
  2. 粟嶋公園
  3. 粟嶋社
  4. 道の駅 くにみ
  5. 道の駅 くにさき

 


1. 道の駅なかつ

本日の車中泊は「道の駅なかつ」にて。

快適安全、ありがとうございます。

 

大きな農協直売所がありました。

春夏冬で商い中、もとい春夏秋冬で「ひととせ」は初めて知りました。

 

豊富なメニューのレストランには中津と九州の名物がたくさん。

 

美しく整備された歩道は、恐らく公園につながっているのだと思います。

 


2. 粟嶋公園

大分県に突入。

立ち寄りスポットは高台から海を見下ろす「粟嶋公園」です。

広い駐車場に縁結びモニュメントやカフェ、展望台、

海側へ降りれば神社があります。

 

 

カフェ前に車中泊1000円の看板発見。

開放していただけるのはありがたいのですが、サービス内容がイマイチよくわからず。。。

 

↑とか思っていたら、現在はRVパークとして別途運営されている模様。

1回2500円、駐車スペース+24時間のお手洗い、だそうです。

rvparksmart.jp

 

駐車スペースで窓を開けて椅子を出して、景色を楽しみながらお酒飲んだり

おしゃべり楽しんだりされる方は有料でも絶対こちらですね。

本当に寝るだけの自分にはちょっと贅沢かな。。。

 


3. 粟嶋社

公園からつながる神社の方へも行ってみました。

きれいに整備された道を下り

 

更に崖の突端へ。

 

御祭神:少彦名命

ご利益:医療(婦人病・安産・子育て)・縁結びなど

 

少彦名命一寸法師のモデル、

常世の国(海の向こうの理想郷)からやって来た小さい神様だそうです。

粟嶋社では女性の願いを叶えるとされていますが、酒造りを広めた事で「お酒の神様」としても有名だそうです。

 

小さなお社は無人。初穂料は賽銭箱へ。

 

願い石はこちらの「叶え岩」へ。

岩の中、周りに白い石がたくさん。

みんなの願いが届きますように。

 

誰もいないかと思ってお社裏手へ回り込んでみたら、釣り人さんがいらっしゃいました。

きっと穴場ポイント。(?)

 

 


4. 道の駅 くにみ

お次の立ち寄りポイントは国東半島北端、「道の駅 くにみ」です。

産直充実の物販エリア。

 

この日はちょうど地元のテレビが取材に来てて、

特産加工品について、レポーターさんとスタッフさんがカメラ前でお話されてました。

 

タコが有名との事で、「願いダコ」なるモニュメントも。

タコのご利益はイカに。

 

駅は海浜公園とつながっています。

 

公園やオートキャンプ場も。

家族でのびのび、一日過ごせそうですね。

 

 


5. 道の駅 くにさき

 

本日最後の立ち寄りスポットは「道の駅 くにさき」です。

物販、情報館、レストランなどのメインの施設と、カフェが散策路(?)でつながっています。

 

レンタサイクルと自転車旅情報のサイクリングターミナル。

 

海を見ながらお食事のいただける、レストラン「ベルコート」。

 

駅の裏手は「黒津崎海岸」です。

 

お手洗いを右手に、散策路を抜けると

 

軽食のいただけるカフェスペース「夢咲茶屋」があります。

 

少し遅めの昼食に「団子汁」いただきました。

大分の名物だそうです。

もっちり素朴でおいしい!

 

というか山梨の「ほうとう」とも似ているような。。。

と思って調べてみたらば、小麦粉をねるねるする、はどちらも一緒。

そのあと

 

  • 団子汁のだんご→手で伸ばす
  • ほうとう→うどんみたいに切る

 

と、成型の段階で違いがあるとの事でございました。

確かに。。。団子汁の方がもっちり、ほうとうのがしっかりした感じかも。。。

 


 

国東には「六郷満山文化」という独特の宗教文化があるそうです。

「鬼を仏として信仰する」というのも恐らくその一つ。

 

神仏習合山岳信仰と、その他土地の色々が交わって、今のような形になったんでしょうね。

「怒りをもって人を戒め救済する」密教的なイメージが、そのまま鬼につながったのかなあとも。

 

人は信じたい物を信じる、そうして作られた宗教はそのコミュニティにおける「共通のフィクション」であり、人と人とをつなぐ接着剤である事を物語っているのだと思います。

絶対の神様、とかないなと。

 

というのは後の長崎でも思う事ですが、

カトリック→禁教→隠れて信仰→アレンジして信仰→オリジナル化→禁教解けたけどカトリック拒否

 

みたいの聞くと。。。

え、じゃあ元々何教?みたいな。。。

叩かれても縛られても貫き通した信仰って「どれ」だったのかしら。

 

大事なのは「信仰心」であって「信仰対象」ではないのよね。

今日本で騒がれている「宗教問題」に神様とかは何も関係ない。

あるのはそのコミュニティの中での歪んだ「価値観」だけ。

それに抗えない人間の弱さがあるだけ。

 

なのでぶっちゃけるとこれ、政治にも何も関係ないような気がするんですよね。

ただひたすら「人が人である故」の普遍的な問題なんだと思います。

 

政治家さんが団体にメッセージ送ってたから「信じていいと思った」って他力にも程があるというか。。。

どうしても論点がずれてる気がしてならないの。。。